落果聖のたいにーblog

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アステリズムに花束を 感想

 SFマガジンで百合特集したら売れたからSF百合出すねというわかりやすいコンセプトに生まれたアンソロジー。個人的にSFと百合が相性が良いと言うよりも百合の方がジャンルとして大きくなった結果SFの方がサブジャンルになってしまった印象を受けます。

以下感想
キミノスケープ 宮澤伊織
 百合が俺を人間にしてくれたは(百合界隈で)あまりにも有名
https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0
 そしてそれを体現して見せた作品。二人称にすることによって内面的な描写を削り、百合を眺める壁から百合そのものへと昇華してくれる作品。読者に対する挑戦状のような作品で評価はバラッバラに割れそうですが、実験的SFとしては成功でSFと百合の部分が評価されるべきでしょう。
 私は壁でありたい…

四十九日恋文 森田季節
 百合がメインでSFがサブジャンルになってるタイプ。SF百合を書いてと頼まれて、製品として仕上げようという職人的気質を感じます。今まで森田季節先生の作品を読んだことがなく、目立ったヒット作が思いつかないけれど、生き残っている作家と言うイメージでした。出版社的には必須タイプの作者だけど、読者としては特別印象には残らない感じです。

ピロウトーク 今井哲也
 ごめんわからない!
 言えるのは、センスで書いちゃうから森田季節先生とは対極のタイプってことぐらい。

幽世知能 草野原々
 SFをテコに使って二人で投身自殺する耽美な百合を派手にぶん回したような作品。最後にして最初のアイドルも拡大をひたすらし続けて話の終わりで爆縮を起こしていましたが、今回はSF的な要素で少女の孤独をひたすら語っているように思えました。このSFはよくわかりませんSすごいF不可解です。でSFになってしまう。

彼岸花 伴名練
 耽美な百合ある意味では古典的な百合に仕上がってます。日記の中で徐々に明かされていく世界観がたまらねぇ

月と怪物 南気義隆
 ソ連百合。pixivで話題になったやつですね。すごくはあるけれどそれを完全に生かすことができていない印象。すごいなとは思うけれども面白いには直結しない。元々SFとして書かれていない為SF要素は薄く。また百合としても薄い。もう一つpixivに投稿していてそちらが話題になってない以上、作家としては百合よりもSF側の方が正解なのでしょうか?バズっただけの一発屋と決めつけるにはよくできている文章なので、判断に困る作品。

海の双翼 櫻木みわ×麦原遼
 途中で読むのをやめようと思った。わからないならわからないでSFは案外読めてしまったりするのですが、(別の宇宙があると計算できる理屈なんてどうでもいいし)これは世界観の文明レベルがわからない。誰がどの名前で呼ばれてるかわからない。メインの登場人物が三人なのになぜこんなに困惑する構造なのか…たぶん映像でみたらかなりきれいな作品にしあがって印象も違うのでしょうけど…異言語コミュニケーション百合?とりあえず自分が読者の中に入っていないので、面白いとかつまらないとかの判断をすべきでは無い作品。(著者二人に共通するゲンロンSFにまず苦手な人間が多すぎる)

色の無い緑 陸秋槎 翻訳 稲村文語
 SFとして面白かった。百合と言えるような要素はほとんど無い。男と男がいればそれはホモであるというような人種ならばこれを百合と認識するかもしれない。少なくとも百合を期待して読むと痛い目を見る。こちらも言語が主題のお話になってますが言語によるコミュニケーションではなく言語学的な部分が主題。

ツインスター・サイクロン・ランナウェイ 小川一水
 SFとしても百合としても読める作品。短編ではなくて長編で読みたいと思った。二人がかりでやる宇宙の漁猟という設定がエモさを出してます。百合の関係性の為にSFの設定があるような感じなので一番SF百合っぽく感じました。

 SF百合というお題(お題?)で書かれた作品たちですが、元をたどっていけば伊藤計劃のハーモニー十周年記念から始まってます。この短編の中で言語を扱った短編が二つ(四十九日恋文も入れれば三つ)ありましたが、伊藤計劃が言語を扱った作品と言えば虐殺器官になります。その中で言語は個人から大衆に広まっていく物であり、一対一のコミュニケーションの比重はかなり小さい物でした。
 ハーモニーで扱われているのは感情の部分であり言語ではありません。百合、コミュニケーション、言語、と言う連想ゲームで言語が主題になった作品が出てきたのかもしれません。
 もしSFで百合を題材にするのならばSF部分で感情を拡大解釈して二人の関係性を高めるのが最適解になるのかもしれません。
 しかしSF百合短編集であるアステリズムに花束をはSFと百合をくっつけただけの作品であってSF百合と言うジャンルではなくて百合好きにSFを強引に押しつけるような構成に思えてしまいます。両方好きなら問題無いでしょうが、ここからSFに入っていく読者は少ないでしょう。
 SFマガジンが増刷するほど売れたというのは、単純にSFが衰退して百合ならば何でもかまわないような人種の数より少なくなっただけでは無いでしょうか?
 百合の側面からSF百合を追求していく形ならば可能性は大きそうですが、単純に売るために百合とつけるだけならSFなんて滅んでしまえ。