落果聖のたいにーblog

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天気の子 感想(ネタバレあり)

 今回はネタバレありで行きます。

 

 新海誠作品が好きなのか、それとも君の名は。が好きなのかで評価が割れそうな作品になってしまいました。自分自身は言の葉の庭が好きなので序盤から続く雨のシーンや、帆高が家でして自立していく流れは好きです。ただ、そこは展開がゆっくりしているとか、退屈と言えば退屈な描写なのかもしれません。
 晴れ女の陽菜が消えれば東京の大雨も消える。それを知った陽菜は自ら消える事を選びますが帆高が天に消えた陽菜を連れ戻してきます。
 そこまでのアクションは前回よりダウンした印象が強いです。

 結果として東京は三年間雨が降りっぱなし。でも陽菜とまた再開するエンディング。
 いつもの新海誠なら陽菜が消えて元に戻った東京で雨から日が差した瞬間に育った帆高君が指輪を見て思い出すエンドだよ!これは止められたのか。止めたのか解りませんが、とにかく世界を変えてヒロインを助けたエンディング。ただし世界を救ったわけでは無い。 水没した東京は見ていて綺麗でした。水没した東京を描きたくて作品を作りましたと言われたら素直に信じます。雨が降りっぱなしでも東京では人が住んでる。

 もしも陽菜を救ったシーンで終わって居たならば気持ちよい万人向けの映画になっていたでしょう。それでもその後の東京の姿を描いてくれたおかげで、ようやくエヴァ破から呪われ続けてきたエヴァ急(Qにあらず)が見たいと言う気持ちが収まりました。

 あれもやっていることは一緒です。ただ違うのはやった後に責められるか。おめえの責任じゃないと言われるかそれだけ。どっちもたくましく生きているのは変わりませんから。

 世界は狂っている。

 実際の災害が起こるとフィクションは自粛を求められてしまいます。ただ、人間はそんなに弱い生き物なのだろうか? 災害があっても強く生きていけるのではないか。そう思わせるには十二分な描写でした。

 帆高君は晴れ女稼業の時に晴れると心も自然と前向きになる(具体的な台詞は覚えてない)と言った趣旨の自白をしています。
 帆高君の家での理由は日常に対してのモヤモヤとした感覚でした。それはきっと雨雲に例えても良い物だと思っています、陽菜(だったと思う)に心のモヤモヤは晴れたかと聞かれたとき、帆高君はモヤモヤは無くなったと答えています。

 雨がずっと降り続けていた帆高君の心に差し込んだ光が陽菜さん。